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前編
http://hoku3373.livedoor.blog/archives/5609545.html
いよいよ核心に迫る。

今年一年の振り返りを書いてたら、和光ばっかりになったぞ!!!どうしてくれんだこれ!!!

なので、和光だけの振り返りを 載せてみました。


この一年間、もしかしたら生まれたときからかもしれないけれども、誰かを心配させないためのコストに多くの時間やお金を使ってきた。


だけど、だんだんとそこに対するダルさや生きづらさを感じ始め、何か手はないかと探していたのかもしれない。


だけど、それも終わりにしようと思う。


もう東京にいる必要はない。


ホームレス生活をしていたのに、望んでいたものが手に入らなかったのは東京にいつまでも縛られ続けていたからなのかもしれない。


来年からはとにかく作りたいものを作る。

生きたいように生きる。

それでもって、バリバリ稼いで、せっせと横流しにする。



7月




家賃が払えないので、初めて和光維持のためのpolcaをたてた。

だけど、一万六千円のハッピを買った。




貧乏を言い訳にして、価値のあるものにお金を払わないというのは、それだけ多くの価値のあることをしている人たちを貶めることになる。逆に、お金を持っていなかったとしても価値のある人には価値があると確かな行動で伝えるべきだ。自分が何かを作っていた時に苦しめられてきたことではないか。それを恩人であり、理想の世界を作り上げようとしている仲間に対してどうしてそのようなことができようか。いや、僕にはできない。そんなことは、相手に価値がないと突きつけることで、人殺しと同じ...いや、僕の場合それ以上に罪深い。

ー(中略)ー

あとはここにある価値、僕が提供していた価値が鮭が生まれた川に戻っていくようにここに集まることを信じて、足掻き続けていくだけ。そして、また新たな価値を生み出し、それを流していく...そんな循環が起こしていくという覚悟もある。そんなわけで、この妄想拠点に価値があると思った人、この僕の思いに共感してくれた人がいれば、是非ともこのpolcaにお金を入れてほしい。お金がない。もう、そんなことで夢や生活を諦めなくてもいいように。その一歩をこのpolcaにお金を投じることによって変えませんか?

ー 本文より引用。



8こくらいの連投ツイートはマジで名文と自分で言っちゃえるくらいに評判が良かった。

今見返しても、ものすごく励まされたし、大事にしたいなって思うスピリットだ。


ちなみに、このときに買ったALL YOURSのハッピは洗濯機にいれて取り出せばほぼ着れるので、実家で身ぐるみを剥がされる時以外は毎日着ている。

まさに着たくなくても着てしまうハッピだった。



この時期、「ハキダメモノ」のタイトルで毎日noteを更新していた。

電車の中、暇なのでただ頭の中を垂れ流す目的で。



この時期も半分くらい和光にいなかったな。


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春日部に自転車買いに来たら、延々とフランクを焼かされてたし、


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横須賀に行って、高校生相手にキャリア教育の授業をしにいってたり、


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木村さんに突然群馬へ連行されたり

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名古屋で無料サウナを嗜んだり


もう、びっくりするくらいにいろんなところに連れて行かれた。


だけど、会社を離れて全国放浪並のペースで動き回ったのはやはり楽しかった。


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もう、この頃には会社に通うことの限界を感じていたのかもしれない。

幸い、メインのインターン先の会社はかなり融通をしてくれていて、次の月である8月に関してはフルリモートワークにしてくれたりしていた。


会社が僕に融通してくれているのはよくわかるし、ビジョンにも強く共感している。


だけど、この違和感はなんだ。


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!?




この日は初めて女将を縛った日。


この二週間ほど前に例の18歳の女の子から縄を習った。

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亀甲縛りをしてもらったまま電車で和光から武蔵小山まで行く謎のことをやっていたが、それも女将を縛る上で、長時間のそれがどれほど体に負担を与えるのかを検証するため。



彼女を縛ることを考えながら、あわよくば久しぶりにモノを使うことを期待しながら彼女に会いに行った。



女将にとっても、僕にとっても、今までの人生で全く経験をしたことがないそれで、実に新鮮な体験で、何か心を燃え上がらせるものがあった。


このときの興奮のままに僕はたった3日ほどでその体験を書き上げた。

でも、めちゃめちゃ恥ずかしかったので、一部10000円、合計30000円で販売した。一人買われた



※気分で2000円に値下げした。




ちなみに、女将もこのときのことをエッセイにしてくれた。


それに応えるように僕もエッセイを書いた。




※ちなみにオナニーよりもセックスが好きになりました。


しばらく、このことしか書いてなかったから、マジでこの月はこれが大きかった気がする。



ちなみに、このときはそんなに女将のことが好きってわけではありませんでしたが、なんだか幸せだったなぁくらいな感覚です。今は大好きですが。


8月



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この日のために頑張ってきた!!!と言わんばかりの生月月間!!!!


今回もそこそこ人がやってきた。

ただ、生月にいた半分以上を病気だったこともあって、去年ほど開拓ができていなかった。

Eサイクルを取材した有安さんから貸してもらって、何かにつけてノリまくっていた。楽しい。



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軽自動車にも簡単に詰めるサイズなのが最高!!!


あとは、大田さんと一緒に空き家開拓。

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25年前のエロ本や明治時代の漆器など、いろいろ目が飛び出るようなお宝がいっぱいあって、面白かった。



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地味に、平戸をちゃんと観光したりもした。
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この期間、何度も有安さんと顔を合わせていて、その度に平戸の面白い人たちを紹介してもらっていた。

ただ、体調が思いっきり悪かった。なんとかしてくれ。


収益的には散々だったけれども、おかげで平戸や生月に興味を持ってくれる人たちがたくさん増えたのは嬉しい。


ちなみに、奈良の他にもここに精神と時の部屋を作る計画がある。

生月プロジェクトについては以下のリンクから!
https://local.camp-fire.jp/projects/view/33915#menu


一方、生月にいる間に和光が少しだけある事件に関わることになった。

その期間の対応が妙に評価されていたのか、また急にフォロワーが増えた。

いや、当時はヒヤヒヤしたけど。何もしてないのに。


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この月の最後には久しぶりに花巻にも訪れていた。


去年のこの時期も花巻にいたが、今回は東北留学参加者が花巻で授業をするらしいと聞いたので参戦。


いろいろ気になることがあって、参加者も落ち込んでいたが、



「理想の場所ってここじゃん!!!!」




僕らがいたのはカレーだJ

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一度聞いたら忘れないくらいにダサい名前のカレー屋ではあるが、ここには僕らの目標としているものがありまくっていた。


放課後集まってきた子どもたち、そこで思い思いに始まる探求活動。


お店の中を見渡せば、今すぐ何かを作りたい!!と思いたくなるようなクリエイティブを刺激するものたち。


まさに、天国であり、理想の教育の場だと思った瞬間には取材を始めていた。


インターンとしてはじめての完全アポなし事前打ち合わせなし提案なし取材になった。



それをやるくらいに、ここの場所はクリエイティブで、素敵な場所だったから。


記事
https://www.70seeds.jp/currydaj-392/



思えば、ここが僕にとっての転機だったのかも知れない。


作りたい



始めっから、ゼロから何かを作りたい。


もう、心はクリエイティブに向かっていた。




岩手、半分以上テント泊だったね。
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9月



ジロー4



カレーだJにおとずれて、取材をして、記事を書いて、何かのエンジンがついたのか、この月はイベントを乱発していた。


特に個人的にやりたいことだった「ゼミ」を少人数ながら実際にやってみて、運営できてとても嬉しかった。






#オンライン文学部



毎週開催のテーマが決まったイベントをやるのが初だったし、初のオンラインイベントだったので、かなり新鮮だった。


特に、この中で読んだガリバー旅行記は非常に面白くて、子供からおじいちゃんまで万人におすすめしたい本だった。


これのリアル版をやろうやろうとかなり時間が立ってしまったけれども、やっぱりやりたい。来年やる!!!!

Youtubeの勉強会なんかもこの月はよくやってた。


和光の方も週に一回イベントをやっていたけれども、この月のイベントはどれも混沌を極めていた気がする。

というか、みんな女装してた。

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ちなみに、なぜかこの月、大阪にある女将の家に行くことが多かった。

別に女将に会いに行くためではなかったけれども、なぜか大阪での用事が多かった。

会えば必ず肌を重ねていたし、生まれて初めて肌を重ねつづけても辛くなかった人だったし、なんだか不思議な気分だった。


単純に楽しかった。たぶん、楽しいだけだった。このときまでは。





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今年はいっぱい花火をしたな。

JK2人が焼き肉おごってくれたけど、なんかいろいろアタフタしてて、エリンギしか注文してなかった。




10月



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10月になると、毎度調子が悪くなるが、今年の10月は人生の中で一番幸せな10月だったと言える。



女将と初めて生月に行った。

そもそも、女将と2人でどこかに出かけるのが初めてだった。

女将と生月で出会う直前。

別の女の人とラブホテルに入る機会があって、そのときに何故か女将の顔が思い浮かんでいた。


女将と福岡で再会したときにはたまらなく抱きしめたくなっていて、女将の方も「初めて好意を示してくれた!」と喜んでいた。




別に女将と付き合っているわけでもないのに、お互いに他の人ともしていたし、この関係ってなんだろうな?

彼氏彼女になるってのはなんか窮屈な感じがして、あえてそうならない道を選んだ。


でも、確実に女将のことを好きになっていた。


生月での体験があまりにも輝いていて、一緒に見た流星群がとてもキレイで、思い出す度についうっとりしてしまう。



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帰りの船の甲板の上。


2人で鬼ごっこして、お互いに風邪ひいたのもいい思い出。


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!?




なんと、生月に行って一週間後に女将は和光にやってきた。

この際だから、正式に女将に和光の女将になってもらうことを依頼。晴れて、女将は正式に和光の女将として女将活動をすることになった。女将って何回言ったっけ??


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最初は2日くらいで帰るはずだったけれど、なんやかんや一週間ほど和光に滞在していた女将。

思えば、こんなに長い時間旅行じゃない感覚で一緒に女将とすごしたのは初めてかもしれない。

一緒に過ごす時間が増える度に、女将のいろんなところを知れて嬉しかった。



...このままでは、ただの惚気日記だ....。



女将が来ていたこの時期、来年の方針に大きく関わる体験をすることになった。



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モバイルサウナフェス


正直、ちゃんとサウナを体験するのも初めてだったし、何よりも秋の冷たい水であっても、ここまで気持ちいいんだってことに衝撃だった



特に、テントサウナの思いの外単純な構造を見て、「これ作りたい!!!!」が爆発していた。



そして、幸か不幸か奈良の古民家開拓の話も降ってきた


竹林があるので、炭作り放題!!!サウナやり放題!!!!

もう、移住するしかない!!!!



だけど和光が....。




僕が辞めたら、ここを頼りにしている人はどうなるのだろう?



少しずつ、僕の中での葛藤が始まった。




11月





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また女将と生月に行った。


会いすぎだろ!!!!僕もそう思います。


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有安さんファミリー+文さんファミリーと一緒に木の実取りしたり、きっずたちと鬼ごっこしたり前回とはまた違った感じだった。


お金の問題があったり、例の葛藤があったりで、いろいろ落ち込んでいたけれども、一気に回復した。

ただ、女将は僕の最大の葛藤を見逃さなかった。


この頃から、女将と「お金」の話をするようになる。


思えば、いつもここに悩まされてきたし、いつもこれで大切な人を傷つけてしまっていた。


お金編
http://hoku3373.livedoor.blog/archives/5610441.html



これからどうしていくのか。それを考える度になんだか息苦しい。



「北ちゃん!まだフットワークは軽いママかい?」




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生月から一変。気がつけば、高知の山奥に来ていた
※まじで生月から帰ってきた四日後くらいです。


ここは馬路村の魚梁瀬。


馬路村は地方創生の成功例としてその名を聞くが、友人の誘いでまさかここの活動に呼ばれるなんて思ってもいなかった。

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もう、ゆず以外口にしていないくらいに、ゆずの香りしかしない村だった。カツオは別格だった。



ただ、気になったのはここにいた子どもたち。


150人くらいしかいない街なのに、子供が15人くらいはいたような気がする。


多くの子供は山村留学でここにやってきたらしいけれど、遊び方は僕が幼少期にしていたものとそれほど変わりなかった。



ただ、子供が抱えている事情はさまざまで、そこには良くも悪くも山村留学らしいものを感じていた。



「ああ、ここにカレーだJやGround Moleがあったら、どうなるんだろう?」





これほどまでに、子どもたちの近くにいるのだから、ああいう場があれば、みんなどんなことをやらかしてくれるのだろうか。


和光に来ていた小学生はひたすらダンボールで工作をしていた。


もし、彼らもうちに来たらゲームじゃなくて、そっちをやっていたのだろうか。



こいつらと一緒になにか作りたい。




現場で、何かをやることが段々性に合ってきているなとわかってきて、今すぐにでもここで活動したいくらいだった。


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その後に行った、室戸の古民家での火鉢も印象的だった。


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廃校をまるごと水族館にしちゃったのも驚いた。




一方で、東京での生活に強烈に飽きを感じていた。






「本格的に仕事をするので、一人暮らしを始めることにしました。」



最後まで和光にい続けた歴代最長の住民・翼の一言が僕に決心をさせた。




和光を手放そう。




もう、君たちは和光がなくても生きていけるのだから、僕も旅立つときが来たのだと。



12月



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インターン先である70Seedsの恵那合宿の日程を一日勘違いし、浜松で過ごすことになるスタートだった。



久しぶりにたかしくん、ショーコ、しほさん、僕の4人で顔を合わせられたのが嬉しかった。あんまり4人で話さなかったけど。


ただ、70Seedsの合宿はすごく大きな契機となり、「こっち側じゃないんだな」ということにハッキリと気づいた。





僕の夢はやはり世界征服だった。




自分の思ったとおりに物事を進ませたいし、全人類には勝手に幸せになってほしい


そして、いろんな人といろんなことで遊びたいし、それが全部仕事になればいい




実際、お金稼ぎも好きだし、文化祭の片付けのような雑用みたいな仕事も好きだ。



だけど、それに人生の大部分を注ぎたくないし、それに捧げたばかりに他の遊びができなくなるのも嫌だ。


あくまで、すべての遊びを仕事にしたいし、すべての仕事を遊びにしたい



そう心に決めたのは女将と青春18きっぷでカレーだJに行ったときに。

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青春18きっぷで誰かと一緒に旅をしたのはでっちと初めて会った去年の12月以来だったけれども、大部分が沈黙だったあのときとは違い、女将とはよく喋っていた。


もう少し長く電車に乗って、もっといろんなことを話せたらなと思うくらいによく喋っていた。

電車の中での会議が一番捗る。女将との20時間にもおよぶセッションの中で気づいたことだった。


ここは東京じゃないし、思い思いにみんながおしゃべりをしている。

人も少ないし、ちょっとしたカフェに出かけている気分だ。


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向かった場所は少ないけれども、どれも今までの旅行では感じられないような、まさにプチ東北留学であったかのようにいろいろなことを学ばせてもらった。



カレーだJのクリエイティブ、モバイルサウナで味わった瞑想感、火星の庭のような知的空間。


それらをすべて組み合わせたような場所。



精神と時の部屋をつくりたい。


次なる拠点は奈良か、生月か、魚梁瀬か。


12月は何をしたかよりも、これからを話していた時間が印象的で、そればかり書いてしまう。





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僕の理想のお金の稼ぎ方は知り合いの医者がやっているものだ。



誰にでも需要があるどこかの組織から短時間でそれなりの給料をもらう仕事、駆け出しの夢追い人の第一歩のサポート的に共創する仕事、そして個人のやりたいことをひたすらやれる仕事の3つだ。




好きなことで生きていく。




一つのことにすぐに飽きてしまう僕にとっては、それすらも辛く、ある程度の人とのつながりと、ある程度の伴走感、そして個人の欲を最大限に保証していくのを全部やりたい。



一時的にはやれていたのだから、きっと無理じゃない。



夢はでっかく世界征服。




2015年に自転車で東京から日光まで行ったあの日から今日まで、実に長い長い冒険をしてきた。


今年はホームレスをしていた去年よりもずっと多くの場所に訪れたし、旅らしい旅をしていた。


去年以上に、思いもよらぬ人と出会い、去年乾くほどに欲していたパートナーをついに得ることもできた。


なので、去年以上に、過去最高の年だったと言えるでしょう。



これから、和光がなくなる。



どこに行って、どこに向かうのか。




だけど、来年もきっと良い年になりますように。



12/31、午前3時。 成増学園総監督 北 祐介