お世話になりました。

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この一年間何をやっていたのかと聞かれたときに、和光やってました と言う機会が多かった。


今までの活動を振り返ってみても、一番長く時間を使ったし、一番多くの人に来てもらって、一番多く支援を受けられた場所です。


だからこそ、この一年間を振り返る上で最も重要なポイントであるし、来年のそれにつなげるためにもしっかりと振り返る必要があるのかなと思いました。



和光自体来月でなくなるのですが、そもそものコンセプト、思想であるGround Moleはなくならないし、これは僕のライフワークになる



今思えば、和光ってビジネスでもなんでもないタダの遊びで、持続性はなかったけど個人的にやりたいことはだいたいやれたに違いありません。


自分のやりたいことを、描きたいことを精一杯つくっていくこと、これすなわちアート故に、このGround Mole和光の一年間はアートなんです。


ただ、アート故に、キャンバスがいっぱいになってしまっては描きたいものも描けません。


今回、和光をやめる一番の理由は、僕のやりたいことにあの和光の場がついてこれなくなった。これに尽きると思います。


今、僕はサウナを作りたかったり、火鉢を家に置きたかったり、コンテナハウスを作りたかったり、炭を作りたかったりするのに、和光でそれをすることができません。


一つの場所でできることをやり尽くしました。

その証拠に、今振り返ってみれば、和光のコンセプトはカメレオンの如く変化。


大きく和光でやったことは4期に分けることができる。その前進である福岡も含めれば5つ。


それらをそれぞれの期ごとに分析していきましょう。





目次
1.そもそもGround Mole和光とは何だったのか?
2.第0期:Ground Mole福岡(2017年5月〜2017年8月)
3.第1期:「何もない」から「ゴミ」で生きていく(2〜4月)
4.第2期:和光の部室化。手に届く2拠点生活(5月〜9月)
5.第3期:変態の森(9月〜12月)


1.そもそもGround Mole和光とは何だったのか




Ground Moleの発想自体は2017年の4月からスタートしました。

きっかけはこのクラウドファンディング。

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住まないシェアハウス!?どんな妄想も許される思考の拠点を福岡・天神に作りたい!

※プロジェクトページ、リターンとかマジ適当なので見てみると面白いですよ。

「住まないシェアハウス」の名の通り、この頃からシェアハウスが嫌いだったらしいっすね。


「将来の夢」とか「やりたいこと」とかほど大きくないけど、「あ、なんか面白そう」や「ちょっとやってみたい」や「これ実現したら面白いんじゃね?」といった妄想を実現するための寄合拠点を福岡に作ります。自由な妄想を語りまくるために、ヨソ者・馬鹿者・(心が)若者が宅飲み&終電逃しできる全く新しい場所をつくります。


ちなみに正式名称は妄想拠点Ground Mole福岡



夢とかビジョンとかには程遠いし、そこまででもないけど、気軽にあったら良いなと思う妄想レベルの野望をドンドン叶えていけるような場所にしたい!がスタートでした。



不完全でもいい、妄想でもいい、命をかけなくてもいい。そこで少しでも手応えを感じたならば、それを「できる」に変えていけるようにすればいい。ー(中略)ー「妄想の存在が認められる場」「妄想を邪魔する雲を晴らす場」「妄想を実行できる場」こそが必要です。

ー プロジェクト本文より



全国を巡って、せっかく面白い妄想を持っているのに、それを発信できなかったり、実現できなかったり、さらにそれを実現しようとしたときの不安がゴキブリのごとく湧いてきてしまう人がどうしてこれほどまでに多いことか。


その、面倒臭さが起点となり、Ground Mole福岡を立ち上げるに至りました。




結果として、Ground Mole福岡はメインスポンサーの撤退とその後の資金の問題で福岡は終了。


ホームレス生活を辞めて普通に働いてみようと決めたこともあって、それを和光に移転。


当時、よく利用していた大阪中百舌鳥にあったセーブポイントの立地などをヒントにコンセプトの再編集をおこないました。



福岡のときには中心地の天神に拠点を構えていたが、和光は中心地からは大きく離れてしまいしました。


だけど、遠方から来て拠点にするのであれば、都心部よりもちょっと外れた郊外の方が気楽に過ごせることを大阪メトロ御堂筋線終点にあるセーブポイントから教えてもらったので、(というより、自分自身体験してみて案外大差ないなと思ったので)、距離は遠いもののありとあらゆる都心から300円以内で行ける和光市に拠点を置くことに。



コワーキングスペース的に日常的にやってくる場所よりも、一時的に撤退したり、戦略を練って戦いに出ていくための前線基地的な整備を勧めました。


福岡を作ったり、ホームレスをやっていた頃はガンガンやっていこうぜ!!タイプだったのですが、2017年で大分消耗したのか、ゆっくりと土を耕して芽を育てるようなことがしたかったこともあって、あの和光独特の雰囲気が生まれたのかもしれません。


2.第0期:Ground Mole福岡(2017年5月〜2017年8月)



免許合宿から帰ってきた後、福岡に戻り、Ground Mole福岡をスタートさせた。

なんと、Ground Mole福岡に最初に立ち入ったのは北ではなく、別の人物だった。

それは東京で知り合った大学の友人。


私の母が鍵を受け取り、大学の友人が足を踏み入れ、従姉妹に荷物を受け取ってもらうかなりめちゃくちゃなスタートだった。



その後、福岡の中学の同窓から小型の冷蔵庫をもらい、実家に会った棚や電子レンジ、炊飯器を搬入。

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さらに、Ground Mole福岡から徒歩17分くらいの父の事務所にあった古いキャンプ道具やカフェの道具を大量にゲット。


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成増から送った一部の荷物も届き、拠点整備は思いの外スムーズに進んだ。

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ちなみにはじめてのイベントは「世界一長い大根を食べる会」

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今までのイベントがかなりキッチリしたものが多かったのと裏腹に、ゆるゆると楽しむイベントが増えた。


ただ、この当時はどうやって人を呼ぶかにものすごく奔走していて、片っ端から福岡のイベントに出てみることにした。


しかしながら、あまりビビッと来る人が見つからず、かなり苦悩していた。

かなり悩んでいたこともあって、ついこんな投稿を東京のイベント集客で使っていたfacebookグループにこんな投稿をしていた。

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で、まさかのこの投稿に食いついた中高生が2人もいたのだ。ビックリだ。

彼らのおかげで、福岡のいろんな中高生に会えたのが嬉しかった。


なんやかんや、いろいろ走り回ったおかげか、イベントに人は来てくれていた。


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地球を見ながら地球を語る会


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データ入力土方会

どちらかと言えば、東京の知り合いから紹介してもらった人が面白かった印象だった。

ちなみに、このときにも住民はいた。

もっとも、父の会社で働くために遠方から来ていた人だったこともあって、まっとうな人ばかりだったのが今と大きく違う。


Ground Mole福岡の頃の僕は一生懸命もてなしていたので、かなりしんどかった。

にもかかわらず、福岡人の反応は微妙。

ただ、僕がいない間に来ていて、滞在のために使った人からはものすごく喜ばれた。




.....あれ?これ、遠方者の方が嬉しいサービスなの??





ちなみに、Ground Mole福岡は8月の終わりで、僕が本格的に整備するのをやめた。遠方者向けに便利なような整備をした。


最後の利用者は鬼頭さんやみやこさん、でっちといったセーブポイント勢。


鬼頭さん&みやこさん:大阪で「セーブポイント」の名前で、自宅を開放していたコンビ。「個が立つ和の共同体」実現のためにさまざまな活動をおこなう。でっちや翼と出会ったのはこの人たちのつながりから。

でっち:謎の仮想通貨高校生(当時)ホームレス時代に、初対面の北と一緒に青春18きっぷで大阪に旅をした。和光住民第一号であり、和光の初期費用を払ってくれた男



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物はあったけど、電気が一切使えないという謎の状態でご招待


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ありがとう。福岡。



3.第1期:「何もない」から「ゴミ」で生きていく(2〜4月)



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今では信じられないのですが、このときの和光は本当に何もなかったのです。


しばらくの間、キッチンの照明が拾った電球でしたし、

メインルームは電球を外さないと消えない照明でしたし、

コンロはカセットコンロで、布団の一部は寝袋。


何もないために、生活に必要な家具をひたすら回収していく毎日でしたが、この時期は必要な生活家電が全部貰い物だったら面白くね??くらいのノリで、もしそれが持ち込まれなくても、逆にないことに慣れるかくらいに思っていました。



そんな初期和光の住民である翼とでっちにとって、この体験はかなり新鮮だったようです。

翼:一番最初に会ったときはセーブポイントに車を運ぶミッションが課せられた時。でっちの元腰巾着の無職。和光で最も長く居座り続けた男だが、忍者のように存在感を消せたり、洗い物や掃除をたまにやってくれるのでわりと好印象。インスタが面白い。


彼らも僕と同じで、家をなくした状態で何ヶ月も放浪しているので、ホームレススキルはベテランクラス。


ただ、何もない場所に何日も滞在するのが初めてだったそうです。


当時、僕も翼もお金がなく、いろいろな面ででっちにお世話になりっぱなしだったのですが、誰もお金で家電を買おうとしなかったのがマジで笑います。



なぜか、2月のタイミングで引っ越しをする人たちが僕の周りにたくさんいたので、家具自体は思いの外早く揃いました。


ちなみに一日目がこれで


○福岡から発送
・布団セット一人分(その他シーツ×3、こたつ布団)
・カーペット×2
・木製の食器
・調理器具
○シェアオフィスに放置してたもの
・調味料セット
・トライアルのクリップ式電球ライトスタンド
・ラジオ&スピーカー
・電気ケトル
・炊飯器
・服の一部
○スーツケースに詰めたもの
・掃除機
・カーテン
・星のクッション
・寝袋&銀マット
・カセットコンロ
で、2日目には

・ホットプレート
・三段ボックス
・冷蔵庫
・電子レンジ
・32型のテレビ←!?
・椅子
・押し入れ用収納棚
・布団セット(友達の家に放置していたもの)
・野菜ジュース
・サバ缶
・五目チャーハンの素
・米5合
・水4L
・スカイツリー登上チケット←!?


と、かなりハイペースで拠点で生活するのに十分な装備が揃い、さらにこの3日後くらいに、布団3セットとあの謎テーブル、さらにスキーウェアなど、うちに物が集まるスピードが異常に早かった。


なので、「別に買わなくてもすぐに拾えるだろう」くらいの感覚だったに違いない。



他の人も一週間に一度くらいのペースで来ていたり、その来る人たちがかなり面白かったこともあって、この時期はめちゃめちゃ楽しかった。


単純に、でっちや翼と気があったし、大親友の甲斐くんもいてくれたりで、好きな人がたくさん来てくれていたのも嬉しかった。

モノがなく、人も限られていたからこそ、楽しく過ごせていたな。


なによりも、福岡をやっていたときに比べて、僕自身の安心感が大きかった時期だった。

ちなみに、この時期に住んでいたでっち&翼にインタビューもあるので是非!

なお、この時期の住民だけが改めて和光に帰ってきてくれた。なんでだろ。やっぱ、良かったのかな。


この時期の住民インタビュー




4.第2期:和光の部室化。手に届く2拠点生活(5月〜9月)



今思えば、この時期が全盛期であり、暗黒期でもあったような気がする。

間違いなく、一番人は来ていた。

polcaの支援もかなりきていた。


だけど、とにかく疲れまくっていて、この時期はかなり病みまくりだった。






※ワールドカップが嫌いになったnote



一番人は来ていたけれども、落ち着ける場所ではないというか、部室化していた。


何もないときにも来るけど、とりあえず楽しい場所。



まあ、Ground Mole自体、大学のサークルの部室を参考にしたところあるから、コンセプトどおりではあるんだけど、基本的にオンの場所になるので、結構疲れるなって感じもする。


ここが部室であることは、当時の住民・永遠のインタビューを見ればよくわかる。

永遠: 歴代和光住民の中で一番の知名度を誇る元ティーンインフルエンサー。#NSEU20という名古屋の意識高そうなイベントで北と本格的に知り合い、なぜか和光の住民になる。




どのタイミングだったかと言われたら、間違いなくアキオがやってきたタイミングで、ガチでスマブラしかやることがなかったらしいアキオがやってきて二週間の間ずっとスマブラをしていたのがまさにそれだった。


アキオ:5/30〜9/6に和光に住んでいた男。奥さんに今治で子育てに専念してもらいつつ、育休をつかって上京。紆余曲折あったものの、北のインターン先に就職し、現在奥さんと子供と共に千葉で暮らしている。

アキオは掃除をしないし、部屋を散らかすしで、部屋が汚いという理由で遅刻をする俺を大いに苦しめた一方、俺が人と絡むのがダルいときに代わりに応対をしてもらったり、polcaでお金を投げたりしてくれるなど、諸刃の剣っぽい役割の男だなと思っていた。


が、アキオが来て以降、夜中の和光が少し騒がしくなったのも事実で、睡眠不足に悩まされたり、脱水症状でしばらく体調を崩したりしている。


そして、和光住民の中で唯一強制出禁期間を言い渡され、家賃の半分ちょいを俺に支払うことで許された人でもある。


ただ、本当に人はたくさん来ていた。永遠のインタビューの通り、僕と同じくらいにアキオのイメージが強かったらしい。



この時期は大阪の同業者・セーブポイント界隈の人たちや京橋URAのよしけんさんが頻繁に来ていた。

京橋URAのよしけんさん:大阪の京橋にて、人類を無限に泊めるオルタナティブスペース・京橋URAをやっている。現代の貴族。

また、シアトルから一時帰国していた岐阜の美少女・ナナやカナダ帰りの秋田美人・ちづなども来ており、和光は一時帰国者たちの東京拠点っぽくなっていた。



ちなみに、大阪と東京の2拠点生活をするらしいのりなや、和光を拠点に池袋でナンパを繰り返すいこしなども滞在していた。


のりな:合法ロリで売り出していたけれども、変なオジサンばかりに絡まれるんで、のりなに戻した元美大生イラストレーター。かわいいポップや絵を書く。普通にイラストレーターしてればいいのに。現在、大阪にてアートを志す人のためのオープンソースハウス・古墳ハウスを運営している。
いこし:プロ生カサレヤー?つまらぬ!君は今日からプロ殴られヤーと名乗りなさい!新潟からやってきた元よしもとだったり、元プロボクサーだったり、元ラーメン屋副店長だったりどこまで本当かどこまで嘘かよくわからない20歳男子。1月に千住でバーを始めるらしい。成長したな。



この時期はやたらと東京大阪を往復する人が多くて、地方の人であっても我が家に滞在できれば簡単に2拠点生活ができる風潮があった


なお、この時期にも翼は住んでいた。だが、でっちが住まなかったの部室感の強い和光故だろう。


ちなみに、この時期、家出少女来ていたり、近所の子供が襲撃してきたりと実にいろいろな人が来ていた。


※家出少女のインタビュー




そして、この期間の和光で一つの大きな事件が起こる。







いわゆる家賃騒動である。



帰ってきたら、玄関に手紙が養生テープで固定された催促の手紙が置かれていたのだ。


大家にとりあえず電話して、この日までに!!と言ったところ、「その日過ぎたら、タダじゃおかねえぞ」かなりガチ目なトーンで脅迫される



ああ、怖い....。





精神的にも肉体的にも披露しまくっていた時期なので、この時期は本当にしんどかったので、起死回生のpolcaを置き始める。





結果として、

家賃polca:24300円
note販売:20000円
しょぼいメイクマネー:1200円
門太郎のLINE PAY:5000円
リアルpolca:1650円
合計:52150円


が集まり、無事に家賃を払い終えることができたのだ。

和光初めて以来はじめてにして唯一の黒字だった。

ちなみに、このとき20000円分のノートを買ってくれたのが現在の女将

女将:名前は水流苑まち。30歳女子。セーブポイント界隈で北と知り合い、初対面で北の足の指をなめ、北に尻を叩かれる天才的なドM。一緒にSMをやったり、一緒に生月に行ったり、一緒に東北に行ったりで北との仲がドンドン深まっていく。大切なパートナーです。


単純に、彼女が適役だったのもあるが、こういうことをしてくれるくらいに和光のことを思ってくれているのが大きかった。



この後、アキオから35000円(ブチギレ料+8月分の滞在費)をもらい、家賃問題は無事に収束。


第3期まで北は生月や花巻に羽を休めに行った。




5.第3期:変態の森(9〜12月)




第2期がめちゃめちゃしんどいなと感じたので、和光の体制をリニューアル。


この時期からイベントをやたらやるようになり、住民ではないけれども、一ヶ月のうち4日くらいここにいる人たちが増えた。


第2期の途中、和光の運営費稼ぎのために乱発していたpolcaの中の一つで、僕がSMの縄を買うためのpolcaをして、そこで微妙にフォロワーが増えたこともあって、北=縄の人の認識が生まれた成果、なぜか女子客が増えるようになった。

というか、一時期女子のほうが人数多いなんてこともあった。


この時期、インターン先の社長から「北くん、そろそろハニートラップ仕掛けられるんじゃない?」と心配されたので女将を募集することに。


そもそも、家出少女あずかっていたときも、彼女に「お願いします!!訴えないでください!!!!」別にハニートラップをされたわけでもないのに、ブルブル震えていた記憶がある。


どのみち、心配だったので、女将を募集。




特に、タバタウン事件にものすごく微妙なレベルで関係してしまったために、余計に不安だった。


一方、この頃の僕はというと、ちょうど仲が良かった大人女子が2人いて、どちらに女将をお願いしようかと迷っていたところだった。


結果として、今現在最も親密な関係になっている水流苑まちさんにそれを依頼することにしたが、大して2ショットとかあげてないのに、女将と密かにラブラブな関係になっていることが伝わったらしく、その話を聞きに女将の恋バナ目的で和光に来る女子が微増。

なぜか、「え?北さん女子でしょ?」と言われんばかりに目の前でぶっちゃけ女子トークが展開される。いやまあ女子だけどさ!!




イベントが多くなり、企画も増えた。






ただ、この時期くらいから住民もツバサとTomoくらいになり、和光もようやく落ち着きを取り戻してきた。

tomo:空手で全国に行ったらしい19歳男子。V○Zにいたらしいが、退職し8月くらいに和光に来る。現在は仕事を始めた模様。

しかしながら、季節的にも体力的にも消耗していた時期だったこともあって、和光に対するモチベーションは落ちまくっていた。


実を言うと、家賃騒動が起こった7月にもやめたがっていたが、なかなか辞められずにいた。


このタイミングで、あの翼が家賃を僕に払い始めた。なんと、2.5ヶ月分くらいくれた。マジでびっくりした。


もう、翼が家賃を払ってくれることがモチベーションになっているくらいのレベルでモチベーションが低かったため、翼の独立を機に和光をやめるアンケートを出すことに。



みんなから「やめないで!やめないで!」と言われたけれども、「飽きた」と言ったらだいたいわかってくれた


この時期は和光がしんどくなっただけでなく、モバイルサウナなど和光では絶対にできないやりたいことが増え始めたのも大きい



ちなみに、女将が女将として和光に始めてきたのもこの時期。
女将がいたときも、女の子たくさん来てた。いろいろ大変だった

その前日、近所で殺人事件が起きてた。あー、こわ。


もうやだこの街。







こんな感じで、和光の一年間を振り返ってみたました。


誰かに代わりに住んでもらいたいなとも思いながらも、あの大家と付き合い続けなければならないとか、新しいことをやるのに足かせになるからという理由でやめてしまいました。


8月のバカンスを終えて、9月に和光へ帰ってきた時。
あまりにも部屋が汚すぎて激怒したことも思い出しました。

だけど、和光があったおかげで、「ここにいれば絶対に死なない」という安心感の下、いろいろな人が人生でやってみたいことにトライしていったことをこの目で確かにみました。


高卒ニートや中卒ニートだった彼らがあえて、「就職」の道を選んだのも応援していきたいと思っています。


個人的に和光が楽しかったのは2月〜4月。つまり、物があまりなく、知名度もない中で、いろいろと工夫してものを集めたり、ものを利用してみたりとかなりクリエイティブな時間でした。

良くも悪くも、和光には多くの人も多くのものも集まりましたし、それ以上に僕がもらったものも大きかったです。

また、誰かと一緒に住むのも悪くないなと思えたのも和光のおかげでしょう。


もし、和光のようなことを東京で始めたいという人がいれば、全力で応援したいと思っています。






ねぎらって。